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この土地に刻まれてきた様々な記憶。それらの紡がれてきたものを掘り起こし、今ここで生きる人々の日々の営みや様々な思いを織り込み、彼らとともに紡いでいくプロジェクトの活動を、ゆるゆると綴ります。


by tsumugi-tsumugu

【寄稿いただきました】 じゃんがらへの思い

「じゃんがら(自安我楽)」。物心がついた時から、慣れ親しんだ言葉だ。

小学生の頃、夏になると父に平の七夕に連れていってもらうのが楽しみだった。七夕の折に平市民会館(現いわきアリオス)でじゃんがら大会が行なわれていたのだ。舞台の上でライトアップされて披露されるじゃんがらは、太鼓の音、鉦の音、掛け声、それぞれが合わさって会場を異様な雰囲気に包み込んだ。屋内だったせいか音がとても響き、その迫力に小学生だった私は圧倒された。「かっこいい、大人になったらやってみたい」 そう思った。

時は過ぎて、高校も卒業し社会人となったある年の夏。毎年この時期になると、自宅の近くにある神社で地元の下神谷青年会のじゃんがら練習が始まる。仕事から帰ると太鼓の音が夜の9時過ぎまで聞こえてきた。夏の訪れを告げる音だった。

同じ頃、青年会の方が入会の勧誘に何度か自宅を訪れた。入る気はさらさらなかったものの、じゃんがらの練習だけでもいいので見に来てくれと、なかば強引に神社へ連れて行かれた。太鼓を叩くのを見せてもらっているうちに、自分の心の中にあった昔の記憶がよみがえった。「大人になったらやってみたい」 あの時の太鼓の音が、心の奥底に、強く、強く、響いたのを憶えている。

言葉ではうまく表現できないが、感情のままに、仕事から帰ると毎日毎日神社へ通った。
じゃんがらを早く覚えたい一心で必死に練習を積み重ねた。


*****

じゃんがらは、亡くなった人を供養する念仏踊りである。

2011年3月11日午後2時46分。
誰も体験したことのない大地震が東日本を襲った。沿岸部では津波によって大勢の尊い命が奪われ、家が流され、大勢の人が住む場所を失い、被災した。一瞬にして当たり前だった今までの生活が当たり前ではなくなってしまった。

震災直後、人々は水、食料、ガソリンを求め、必死に「生きる」ことに対して生活していたと思う。加えて福島では原発の事故により、大勢の方が避難を余儀なくされた。私たちの地区の小学校も体育館が避難所として使用され、青年会として炊き出しに参加した。体育館にはテレビが一台だけ、ダンボールで囲いがされているだけで、見る限りプライバシーなどなかった。

震災後、青年会の行事が中止になるものが相次ぐなか、「アサヒ・アート・フェスティバル2011」のオープン・パーティでじゃんがらを披露してくれないかと依頼を受けた。5月のことだ。青年会の皆の意思を確認し、少しでも被災地の現状を知ってもらえるならと参加することを決めた。

当日は甚大な被害を受けた宮城県南三陸町の皆さんも参加されていて、生のお話を伺うことができた。津波の恐ろしさ、命の儚さ、自然に対する人間の無力を痛感し、自然と涙が溢れ出てきた。一方、私たちも、じゃんがらを通じて福島の現状を伝えることができたと思っている。


*****

今年のじゃんがらは、震災で亡くなられたすべての方に対して供養になるようにと一生懸命取り組んだ。今まで当たり前のようにやってきたじゃんがら。このじゃんがらをこんなに深く考えたことはなかった。この震災によって亡くなられた方々を、じゃんがらを通して心から供養してあげたいと思った。

今までじゃんがらを継承してくださった青年会OBの方々、また震災を乗り越え会長である自分を支えてくれた下神谷青年会、メンバー全員に心から感謝したい。私はこの地域に生まれ育ったことを誇りに思う。じゃんがらを教える立場になった今、これからも下神谷のじゃんがらが後世に残るよう、強い信念を持って後輩たちに継承していく。


【寄稿いただきました】 じゃんがらへの思い_a0220455_23252147.jpg




【執筆者紹介】

 金賀 大輔 (かねが だいすけ)

  1981年福島県いわき市に生まれる。
  高校卒業後、2001年より地元の下神谷青年会に入りじゃんがらを始める。
  趣味ソフトボール。大好物は唐揚げ。
  悠々自適な日々を過ごしながら、青年会活動に励んでいる。
  2011年度下神谷青年会会長。
by tsumugi-tsumugu | 2011-12-03 09:41 | じゃんがら