この土地に刻まれてきた様々な記憶。それらの紡がれてきたものを掘り起こし、今ここで生きる人々の日々の営みや様々な思いを織り込み、彼らとともに紡いでいくプロジェクトの活動を、ゆるゆると綴ります。


by tsumugi-tsumugu

じゃんがら考

お盆の時期になると、いわき市とその周辺地域では、どこからともなく、太鼓と鉦の音が聞こえてきます。
夏の日差しの下、打ち鳴らされているのは「じゃんがら念仏踊り」という、この土地に江戸時代から伝わる郷土芸能。
地元では、この「じゃんがら念仏踊り」を、親しみをこめて「じゃんがら」と呼んでいます。

じゃんがらは、8月13~15日のお盆の3日間(地域によっては13・14日の2日間)に行われる、1年の間に亡くなった霊を慰める供養の踊りです。
浴衣に襷がけ、鉢巻、手甲に足袋に雪駄ばきといった格好の踊り手たちが、新盆を迎えた家々をまわり、唄をうたい、太鼓や鉦を鳴らしながら踊ります。
太鼓をたたく者3~5名、鉦10名ほどと提灯もち1名で構成されます。

じゃんがらの担い手は、各地域の青年会や保存会のメンバーです。
唄や踊り、太鼓のリズムや品振りは、基本の形はありますが、それぞれの地域で異なり、一つとして同じものはありません。山間部のごく一部の地域では、横笛が加わります。

太鼓には「南無阿弥陀佛」と染め抜かれた布が巻かれます。
また、撥(ばち)の先には、線香を表す白く長い毛が付けられています。

じゃんがらの一行は、入場すると、太鼓をなかにして、それを鉦が囲むように丸くなります。
そして、太鼓のリズムに合わせて唄をうたい踊りながら、最初は反時計まわりに回ります。
唄が終わると、鉦をたたきながら時計まわりに回ります。
反時計まわりに回るのは死者をなぐさめ、時計まわりに回るのは残された遺族をなぐさめているとも言われます。



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盆まわり


8月13日。お盆初日。身支度を整え、荷物を揃えたメンバーたちが、車に乗り込みます。
1日目は地元以外の地域を、2日目に地元をまわるのが通例です。
軒数は、青年会・保存会によって違いますが、30~50軒にものぼります。
新盆の家には灯篭がたつので、すぐにそれとわかります。

夏の暑い日差しに早くも流れる汗。訪れる客人と線香のにおい。
じゃんがらが始まると、そこにいる皆が、じっと見つめます。

演舞が終わると、しばしば食事や飲み物が振る舞われます。
汗だくの体に水分補給は必須。ありがたく頂戴します。

夜になり、あたりが暗くなっても、じゃんがらは続きます。
灯がともった灯篭の下、鉦と太鼓の音が響き渡ります。

14日。この日は地元まわり。行く先々の家は見知った顔です。
「あそこの孫が来た」「あいつの息子が来た」と、迎えられます。
小・中学校の同級生の家であることも珍しくなく、懐かしの対面ともなります。

2日目は1日目よりも多くの家をまわります。朝から晩までのハードスケジュール。
暑さとたたかい、疲労もピークになりながら、それでも鉦を鳴らし、太鼓をたたき続けるのです。



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じゃんがらの変遷


じゃんがらの始まりについては、いくつかの説があります。
浄土宗の僧・袋中上人(1552‐1639)が始めたという説、同じく浄土宗の祐天上人(1637‐1718)が始めたという説、また小川江筋(いわき市内を流れる用水路)をひらいた、磐城平藩の郡奉行・澤村勘兵衛(? ‐1655)の菩提を弔うために、農民たちが泡斎念仏を唱えたことが始まりという説などです。

平安時代、踊りながら念仏を唱える「踊念仏」が、空也上人によって始められました。
念仏を主としたものが、時代とともに踊りを主としていき、やがて芸能・娯楽化した「念仏踊り」に発展します。
「じゃんがら念仏踊り」も、この流れを汲むものと言われています。

江戸時代のじゃんがらは、宗教的な側面をもつ一方で、遊興的な性格も有していました。
明治25年(1892年)に書かれた大須賀筠軒(1841‐1912)著『歳時民俗記』によれば、
江戸時代末には、男女が入り混じって太鼓や鉦をたたき、仮装をしたり裸になったりする者がいて、笑いをとっていたことなどが記されています。
また、新盆のときに限らず、神社仏閣の宵祭りや開帳のおりにも踊られていたようです。

その後、明治時代に入ると、新しい文明開化の時代にそぐわなく、中には醜態を見せるものもあり、非道徳的であるとして、明治6年(1873年)に禁止令が出されました。

明治中期には再び盛んになりましたが、これ以降は江戸時代末に見られたような、賑やかな雰囲気はなくなっていきます。

江戸時代、じゃんがらに参加していたのは、「若者組」と呼ばれる人たちでした。
若者組は、時代ともに組織や名称を変え、現在の「青年会」に引き継がれていきます。
現在のじゃんがらは青年会が、あるいは青年会がない地域では保存会によって、継承されています。




≪参考文献≫

・佐藤孝徳「じゃんがら念仏踊り考(歴史的観点から)」
 (『いわきのじゃんがら念仏調査報告書』、いわき市教育委員会、1989年)
・和田文夫「じゃんがら念仏踊り考(民俗芸能の観点から)」(同上)
・太田史人「舘のじゃんがら」(『潮流』第31報、いわき地域学會、2003年)
・喜舎場一隆「北九州における袋中上人とジャンガラ念佛」(『潮流』第33報、いわき地域学會、2005年)
・夏井芳徳『ぢゃんがらぢゃんがら』(纂集堂、2009年)
・『いわきのじゃんがら』(いわき市教育委員会、1979年)
・『いわき市史 第7巻』(いわき市教育委員会 1972年)
・五来重『踊念仏』(平凡社、1998年)
・村上弘子『高野山信仰の成立と展開』(雄山閣、2009年)
・圭室文雄編『日本人の宗教と庶民信仰』(吉川弘文館、2006年)



文責:田仲 桂(明治大学大学院博士後期課程単位取得退学、いわき歴史文化研究会)
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by tsumugi-tsumugu | 2011-09-09 23:38 | じゃんがら